たまにタイトルのような言葉を聞きます。
わたし自身は断捨離しなくちゃいけないほどの交友関係がないので、そういうことをする機会はないですが、される方の身になると純粋に悲しくなることも…。
昨年に、あるグループラインの中の1人の友人からLINEメッセージが入っていてその後、友人はそのグループから退室していました。
『グループ整理しようと思って一端抜けます。また新たにグループ作らさせてね。』ってな具合で。
「また新たに作るんやったら退室する意味ないやん」と思い、よくわからなかった。
グループ整理というのは、増えてしまったグループに対して、自分にとって本当に必要なグループだけを残したかったんだと思う。
その残したいグループにこのグループは含まれなかった、ということ。
角が立たないように「また立ち上げる」と言って削除したのかなぁとなんとなく思って。
(全てのグループを削除したのかもしれないし、真相はわからないけれど。)
すごく人数が多いグループだとか一時的に作ったに近いようなグループならわたしも削除したりするのでわかるのですが、結構食事に行ったりもしていたし、人数も少ないグループだっただけに、《必要がない》と判断されたことが悲しかった。
わたしにとっては居心地の良い友人たちだったし。
わたしは一方的にそう思っていたけれど、友人はそうじゃなかったのかなとか、色々考えちゃいました。
友人の少ないわたしからすれば、気の許せるごくわずかな友人の1人だったのになぁと思ったり。
ブログをしていても、結構いろんなことを思います。
あ、心がすごく重いなとか感じることもある。
はてなブログは何かと数値化して見えるものも多く読者とかそういう仕組みがダイレクトに心に響く。
だけど、自分にとってのアウトプットの場所でもあるし、しんどいと思うことより楽しいと思うことの方が上回るから続けていきたいなとは思うのですが。
今は同年代の子が多数集まる《学校》という場所には行っていないし、少人数の職場で長らく働いていたし、付き合う友人は気の合う子のみ、ちょいちょい義理ファミリーという狭い世界で生きているから、人間関係で悩むようなことって昔に比べれば極端に減ったわけだけど、たまに、オンでもオフでも「あぁ苦しいな」と思うことがあります。
だけど、その人がこちら側を《必要ない》と判断したのであれば、それはわたしにとってもそうなんだろうなと思うのです。
『人生ってなるようになってるなぁ』と思うことが多いのですが、そういうことなんだと、すべてを自然に任せて受け入れる。
30年近く生きてきた中で、いろんな出会いがあって一番多くいろんな人と出会ったのは学校で、当時はめちゃくちゃ仲が良かったのに今となっては連絡先も知らないような友人も多数いる。
これは珍しい話ではないと思うけれど、最終的に今、友人でいてくれている子たちはわたしにとっては必要な人で相手にとってもそうで、それはごくごく自然なことで。
友達でいる為に何ら努力したわけではない結果が今ここにある。
旦那さんとも「あぁ、もう一生切れちゃうんだろうな」という時期がありました。
色々あって。
だけど、サヨナラ一発逆転満塁ホームランで、一生切れてしまうどころか一生一緒にいることになった。
それも自然な流れでわたしの人生にとっていちばんそれが相応しいであろうからそうなったんだと思えるんです。
だから、離れていく人は自分には必要のなくなった人なんだと解釈すれば少しは悲しみも紛れるかなと思っています。
悲しく思ったっていう気持ちをなくすわけじゃないけれど。
そういう気持ちを感じ尽くしたら次。
進まなくちゃなと思うのです。
大事なものを失っても、またひょんなことで新たな大切なものって見つかったりするものだから。
それは決して代わりというわけではなくて。
新たに大事なもの、見つけたらその時はまたそれを大切にしていきたいです。
それでいいかなと、あまりうじうじせず前を向いていきたいです。