☆*写真好きなHSPの日常**♪

HSP(ハイリーセンシティブパーソン)という独特な気質を持って生まれた、写真大好きなOLが綴る日々です♡

強がらなくてもいい場所で

f:id:lucky--happy--smile:20170703172544j:plain

 

わたしは凛としていたかった。 

 

ミスチルの『つよがり』という曲。

ある日、突然すっと心の中に入ってきたんです。

「これってわたしのことだ…」と、その時思って

それが自分を見つめなおすきっかけとなりました。

 

それまで何度も何度も聞いたことがあった曲だったし

歌詞だって知っていたのに、なんで今まで何も思わなかったんだろう?と不思議に思いました。

 

たぶん、自分が強がっているということにすら気付いていなかったんです。

そして、それを誰かに気付いて欲しかったのかもしれない。

 

すぐ旦那さん(当時は友人)にメールしたら

「きゅうちゃんまんまやん!」って言われて、やっぱりそうだよねって思った。

 

旦那さんにはよく「もっと人を頼ればいいのにって思う」って言われていたから

旦那さんは気付いていたんだなぁ。

必死にひとりで何もかもを頑張ろうとするわたしを。

強がってしまうわたしを。

 

誰かに頼ることが甘えだと思っていたのだけれど、どうやら違かったみたい。

 

こだわりが強いことにより起こる弊害

小林麻央さんのブログで

私は、全て自分が手をかけないと
気が済まなくて、
全て全てやるのが母親だと
強くこだわっていました。
それが私の理想の母親像でした。
 
けれど、
病気になって、
全て全てどころか、
全くできなくなり、
終いには、入院生活で、
子供たちと完全に離れてしまいました。
 
強制的に
こだわることができない
環境になってしまいました。
 
そして、
皆に手をかけてもらうように
なりました。
 
病気は神様からのメッセージだと
いう考え方もありますが、
 
その意味では、
 
自分の心身を苦しめたまでの
こだわりは
失ってみると、
それほどの犠牲をはたく意味のある
こだわり(理想)ではなかったことに
気づきました。

(出典:http://ameblo.jp/maokobayashi0721/entry-12217865921.html) 

というのを見て、すごく気持ちがわかる気がしました。

わたしもこだわりはすごく強いです。

 だから【こうで在りたい】とか、

【こうでなくちゃいけない】という思いが強いんですよね。

麻央さんの場合はあぁいう世界にいるのだから余計に色々と思うことがあったのかもしれません。

真面目で一生懸命な人ほど、こういう考え方を持っている人が多い気がします。

 

だけど、

自分の心身を苦しめたまでのこだわりは失ってみると、
それほどの犠牲をはたく意味のあるこだわり(理想)ではなかったことに気づきました。

(出典:http://ameblo.jp/maokobayashi0721/entry-12217865921.html) 

本当にその通りで

そんなに頑張って強がってこだわってしなくちゃいけないことなんて何もないんです。

 

視力が悪くなればメガネをかけるのと同じように、

出来ないことがあればできる人に頼めばいいし

わからないことがあればわかる人に聞けばいい。

手が足りないなら手を借りればいい。

それを嫌に思う人なんていません。

嫌に思う人は手なんて貸してくれないし、

そんな人にはこちらから頼むこともないでしょう。

そして、そんな風に頼ったからといって、それで自分の価値が下がるわけでもなんでもない。

わたしはそんなことに気付けないでいたんですよね。

 

ある意味、まわりを信用していなかったのかもしれません。

 

強がっていると心には相当に負荷がかかります。

だけど、それに気付けないでいると心が感じているSOSやHELPのメッセージは

病となって体を通して必死にアピールをしてきます。

それが、わたしの場合はアトピーでした。

 

昔から、我慢することが当たり前だったわたし。

自分が我慢してすむならそれでいいと思うタイプでした。

 こういう人はわたしだけではなく、多分すごく多いと思います。

だけど、本当の自分はそうは思っていないかもしれません。

我慢することで本当の自分は悲しんでいるのかもしれません。

 

仮にそうだった場合、心はとても傷ついています。

けれど、どうにもならないから体を不調にしてメッセージを送ってくる。

それでも、【自分が我慢してすむならそれでいいと思うタイプ】の人は

体調が悪くなる自分がいけないとかこれくらい大丈夫だと、さらに負荷をかけます。

すると、病はさらに大きくなり、手に負えないほどのところまできてしまいます。

 

自分自身と対話する

厳しい世の中で理不尽なことはとても多いと思います。

大丈夫じゃなくても、大丈夫だよと笑顔を振りまかなくちゃいけない時もある。

けれど、それを続けていたら本当に心は疲れてしまいます。

 

だから、信頼できる誰かに大丈夫じゃないと打ち明けてみて欲しいのです。

信頼できる誰かがいないのならば、せめて自分自身で大丈夫じゃないことを

認識して欲しいのです。

 

わたしはそれすらも全然できていませんでした。

大丈夫じゃないということにすら気付かずに、大丈夫だと本気で思っていたんです。

だって、我慢することも無理をすることも今まではそれが当たり前だったし、

それがどこかで正義なのだと勘違いしていたところもあったかと思います。

 

自分のことはまず、自分で救ってあげて欲しいのです。

自分で自身の心にアプローチするだけで、状況はずいぶんと変わります。

 

【こんなところでしんどいと思う自分がいけない】とわたしは思うことが多かったけれど

【しんどいと感じてしまうんだから仕方ない】と、決して責めない姿勢でいます。

しんどくてもしなくちゃいけないことは多いので、無理をしてそれは遂行します。

だけど、【しんどいと感じている自分】は絶対的に大事にするのです。

そんな気持ちを無視する、ということだけはしないようにと心がけています。

 

HSPは普通の人が簡単にこなせることを、簡単にこなせない場合もあります。

だから、自分を責めてしまいがち。

誰にでも得意不得意があるのと同じように、できないことが決してダメなことではないのだと、

認識することが大切だと思っています。 

 

理想論にならないように

とは言っても難しい。これが出来れば苦労しないわけです。

 

けれど、本当の自分の気持ちや感情を認めてあげること、気付いてあげること、

心にアプローチすること、は意識するようにしています。

 

アトピーはマシにはなったけれど、治ったわけではありません。

心に溜まる余計なものはまだまだ残っていて完全に除去するのは難しいかもしれないけれど、

何がしんどいのかな?と自分に問いかけるように日々過ごしています。

 

アトピーがひどくなる=心に負荷がかかっている状態なので

それをバロメータとして、日々自分の心と向かい合っていきたいと今は思っています。

 

アトピーは本当にツライのだけれど、わたしの場合は大きな病になる前に

こうして表出してくれるので、その意味ではありがたいのかもしれません。

 

無理をしてしまう人、限界まで頑張る人がやたらと多いなと感じています。

病気になってからでは遅いし、それが命に直結するようなものであればなおさら。

命と引き換えにしなくちゃいけないほど、それは守らなくてはいけないものなのか、と思うのです。

 

逃げることは悪いことじゃないと思うし、

それがそもそも逃げなのどうかも疑問です。

 

誰かを見ていて、そんなに頑張らなくてもいんじゃない?と思うことが多々あります。

それは過去のわたしに対して身近な人が思っていたことでもありました。

 

頑張らない自分でもいいんだよは、頑張ってしまう人に贈りたい言葉です。  

少しでも何かに救われる人がいますように。

 

photo by Q 中之島公園

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ HSPへ   にほんブログ村 写真ブログ 大人カメラ女子(女性初心者)へ