☆*写真好きなHSPの日常**♪

HSP(ハイリーセンシティブパーソン)という独特な気質を持って生まれた、写真大好きなOLが綴る日々です♡

『残さず食べましょう』という呪い

 

小食寄りな我が姉妹。

長女は小学校に入学しましたが、「給食は食べきれているのだろうか?」という疑問があって聞いてみたところ「時間になったら一斉に終わるから、その時に食べきれてなかったら残すことになる」と教えてくれました。

そのうえで、実際のところは、「だいたい食べきれているけれど、残すこともある」そうです。

で、一斉に終わるということは、残すのはOKということですね。

 

わたしの時代は、最後まで食べきれないと、給食が終わった休み時間まで残されていたので、今の時代はそんなことはしなくなったんだなぁと安堵しました。

最近聞いていたVoicyで「給食がすごく苦手で、それが原因で不登校になりそうだった」というお話を聞いて、「そういえばわたしも給食苦手だったなぁ」と思い出しました。

「給食の時間が一番好き!」と言っていた男の子がいて、真逆の感情すぎてビックリ仰天したことも、セットで覚えています。(苦笑)

 

『残さず食べましょう』は正しいと思う。だがしかし

給食の時間が終わった休み時間まで残されていた子って、だいたい背の順1~3番目の女の子たちでした。(ちなみにわたしは背の順2番)

皆さん、「食べようと思っても食べられない」「無理やり押し込んでオエッとなる」という経験ってしたことありますか?

それを繰り返してでも、そこまでしてでも、残さず食べた方が良いと思いますか?

『給食費はみんな一律なのだから、全員同じ量を』って、理論的には合ってると思いますが、教室を見渡して下さい。

そこには絶大なる対格差があります。

もう何学年も上に見えてしまう大きな子もいれば、4歳児並みの体系の子もいるわけです。(それわたし)

保育園年中さんと、小学校4年生の子が同じ量を食べられると思いますか?

 

残さず食べるよう指導するのであれば、よそう時に「少なくして欲しい」という要求を通すべきではないでしょうか。

それも認められなくて、与えられた量を全て食べなくちゃいけないって、今考えると虐待に近い気もします。(大げさ?)

その時はそれが当たり前で何も疑問に思わわなかったんですが、長女の話を聞いて「あの時のあれ、ありえへんくない?」と腹正しく思いました。

そのせいで、わたしは給食の時間がめちゃくちゃ嫌いでした。

わたしの中で不登校という選択肢がなかったから、そういう事態には至らなかったけれど、そうなってもおかしくなかったなと思うほど、つらい時間でした。

 

極めつけに言われた担任からの悪意ある言葉

深く傷ついたことというのは、何歳の出来事であろうと覚えているものでして。

1年生が終わったタイミングで、この1年間で身長と体重がどれだけ増えたかという表が配られて。

その時に、背の順1番の女の子と2番のわたしが名指しされて「全然食べないから身長も体重も規定通り増えてない」と言われまして。

そこには、1年間で身長5cm、体重2kg増えるのが標準だと書かれてあったのですが、全然それに達してないと。ごはん食べないからと。

そこでわたし確認したんですけど、ちょうど5cmと2kg増えてたんですよ。

「え??ちゃんと増えてるけど??」って思いましたが先生に言い返せるわけもなく。

もう30年前の出来事ですけど、鮮明に覚えてます。

 

ちゃんと規定通り増えたとしても、元から小さかったから小さいままであるのには変わりありませんけどね?

でも、それって仕方のないことです。

何ならわたし生まれた時から保育器案件の小ささだったんです。

母親も小さいですし、身長とかってどうすることもできないんですよ。

そこに対してなんらか言うのって間違ってると思いませんか。

しかも、小学校の先生が。

 

身長って体重よりも「触れたらダメ感」ってあまりないですが、気にしている人は気にしているし、安易に何かしら言うものではないと思います。

相手に悪気はないんでしょうが、背が低いことで嫌なこと言われたり、嫌な思いをしたことは数えきれないほどあります。

しかも、そのうちの1人が先生(いや先生でいうと2人かな)だという事実に驚いてしまいます。

 

なんかね、当時は先生の言うことが絶対正しいと思っていたんですけど、先生だって人間だし、いろんな考えの人がいるし、間違ったことを言うことだってある。

でもそれは今になってわかることであって。

当時は何もわからなくて、それが正しいと、正義だと思いこんでいたので、今なら「こう言い返してやりたい!!」っていうこと、たくさんあります。笑

 

自分の子どもたちには、そのあたりも伝えていけたらいいなぁって思います。

 

『みんな違ってみんないい』

いろんな性格の子がいて、いろんな価値観やいろんな考え方の子がいます。

それは子どもたちはもちろんそうなんですけど、先生たちにも当てはまります。

虐待や犯罪でなければ、先生の言うことはどれも間違ってないのかもしれない。

自分に合うか合わないか、だけの部分なのかもしれない。

けれど、「それは違うと思う」ということを伝えるだけでも意味がある。

わかりあえなくても、「あなたはそういう考えなんだね」とお互いにYesと言い合えていたら何か違ったかもなと思います。