泣けたよシリーズとなります。笑
前回は2つ前の記事です。
涙腺が緩んじゃって仕方ない。笑
親になってからというもの、元々涙腺が緩かったものがさらにひどくなっている気がします。
昔なんて、幼稚園とか保育園の発表会みたいなので親が泣くとか、なんで?って思ってたけど、今ならめちゃくちゃわかります。
いや、泣けるよな!!って。
子どもが生まれてから、甥姪の運動会に行って(今はコロナ禍で行けなくなったけど)、見ず知らずの子が、ビリになっても一生懸命走ってる姿とか、障害があってうまくできないけど必死に競技をこなそうとしてる姿とか、全然知らない子だけど涙出てくるもんな…。
わたしたち親は子どもの0歳の姿とかを知っていて、その頃は本当に1人じゃ何にもできなかったのに、今ではこんなに走れるようになって…とか思うよね。
小さすぎてふとした瞬間に消えてしまいそうだったあの頃を知っているだけにね。
必死に色んな想いを抱えながらここまで育ててきたんやもん。
そら、泣けるわ。笑
本題の、泣けた話というのは。
Instagramで見たんですけど、あるお母さんの投稿で、小学生の娘さんがいる方なんですけど、その娘さんが人見知りでめちゃくちゃシャイな子で。
昔は、『この人見知りを直さなくては!』と必死だったそう。
でも、ある時から『人見知りはこの子の個性だ』と思えるようになり、直そうとするのではなく、人見知りだからこその娘さんの素敵な部分をたくさん見つけてその子をひたすら認めてあげようというやり方にシフトチェンジしたそうです。
この人見知りでめちゃくちゃシャイっていうのがまさしく、わたし自身で、そしてそれが長女にもすごく当てはまるなと思って。
わたしとしては、HSPもそうだけどこの内向的な性格とかって努力云々で直せるとか、そういうレベルの話しではなくて、もう勝手な脳の働きというかそういう感じなので、本当に訓練とかでどうにかできるものではない。
それをすごく実感しているので、矯正して外向的に向かわせようとか、それって拷問でしかないわけです。
だから、そんな娘さんに対してひたらすら寄り添おうとしているお母さんの姿がめちゃくちゃ泣けたんです。
自分の子ども時代にもこんな味方がいてくれたらなぁ…と心の底から思ったのです。
ってことは、わたしとすごく似てるなと感じる長女に対しては絶対にそういう存在になってあげようと思ったんです。
しかも、一番身近な存在であるママのわたしが、人見知りでシャイで内向的なしんどさを理解してあげられるって、これはある意味最強なのではとも思いました。
社会は本当に厳しいし、「内向的だからすみません、それできないです」ってそれだけじゃやっていけない部分もたくさんあるし、恥ずかしいからって色々避けて通れるかってそうじゃない。
そうじゃないことはわかってるんですけど、わたしが一番に思うのは、例えば、『人見知りでシャイで内向的な人』が、社会やある場面ではあまりよく評価されなかったとしても。
『それでもいいんだ!』『こんなわたしでもいいんだ!』って思える気持ちを育ててあげたいんです。
『この場所では評価されないけど、違う場所に行けば評価してもらえる』と思えたり、評価されない場面に出くわしても『ここがそういう場所だっただけだ』と思えて『だからって自分の価値が下がるわけじゃない』と思える気持ちを育てたい。
そういう自信があれば、合わないなと思う場面や、怖いなと感じる場面でも、もしかしたら頑張れるかもしれない。
そして、最終的に『こんな自分でもお母さんはわたしのこと認めてくれてるしな』っていうところにいきついて欲しい。
そんな風に思っています。
(1人でもいいから自分のことを理解し、認めてくれる存在がいるだけで本当に生きていけるものだと思う。)
ただ、これはすごく難しいかもしれないと思っています。
なぜかというと、わたし自身が、人見知りで内向的でめちゃくちゃシャイな自分をひたすらに認めてあげることができていないからです。
長女を認めてあげられる=わたしを認めてあげられる
ということになります。
だから、自分否定が直らない限り本心から長女を認めてあげるというのは難しいんだろうなと感じています。
子育ては自分育てとはよくいったものですね。
長女のことを心の底から認められるような時がきたら、それはわたし自身が自分のことを認められたということになりますね。