いつだったかの記事で、「長女はHSCではないと思う」と書いてたんですけど、4歳目前の今、「もしかしたらHSCかも?」と思っています。
ただ、その記事でも書いたんですけど、HSCか否かっていうのは別に重要じゃなくてどっちでもいいとは思っています。
HSPっていうワードをそこらじゅうで見るようになって、「自分はHSPだと思う」っていう人をめちゃくちゃ見るんですけど(わたしが注目してるからかもしれないけど)、HSPか否かってくっきりと区切られるものではないと思っています。
これも以前に書いた気がしますが。
わたしは専門家でもなんでもないので、個人的な思いなので軽くスルーして頂けたらと思うのですが、HSPと非HSPってグラデーションがかかっていると思うんです。
それでいうと、日本人なんてほとんど人がHSPの気質を持っていると思います。
HSCという概念
HSPというものが最近知られるようになったものだから、HSCなんてわたしが小さい頃には存在しなかった。
だから、正直今の子どもたちが少し羨ましいです。笑
HSCの子に対してどんな風に接したらいいのかっていう本とかめっちゃ出てるじゃないですか。
自分が小さかった頃に親とか先生とかにそのあたりの知識を持っていて欲しかった。
それだけが原因じゃないかもしれないけれど、自分のことが認められなかったし、卑下して生きていくことしか出来なかったから。
Instagramのある投稿で号泣しました
そんな時に、Instagramでのある投稿に目が留まったんです。
HSCの子を持つママさんのアカウントで去年の4月から新1年生になった女の子の話が載っていて。
その子には2歳からずっと担任をしてくれていた保育園の先生がいたんです。
その先生は親の次にその子のHSC気質をすごく理解してくれていた方だったそうです。
小学生になったのでその先生とは会う機会がなくなってしまったのだけど、その子と弟くんがその保育園にまだ通っているので、ママさんはその子の登校しぶりだったり普段の様子だったりで、まだまだその子の相談をすることもあったそうです。
「絶対また連れてきて下さいね」と先生が言ってくれていて、先日連れて行ったらしいのです。
そしたら、その先生が「○○ちゃん!!○○ちゃーーん!!」と、とっても嬉しそうにその子の名前を読んでギューっと抱きしめてくれたそうです。
その子も恥ずかしがるくらいに。笑
先生からしてみれば卒園した子には変わりないし、在園児もいて大変であるにも関わらずそんな時間を持ってくれて。
そしてその子にこう囁いたそうです。
「頑張ってるね。適当でいいからね。」って。
ママさんはこらえきれずその場で号泣してしまったとか。
これ見てわたしも泣きました。
HSCだった当時、わたしが言ってもらいたかった言葉ってこれに尽きるなと思ったんです。
『もうじゅうぶん頑張ってるよ。適当でいいよ。そのままでいいんだよ。』って。
HSPだからわかるHSCのこと
こうやって書いていると、HSPだからこそHSCの子のことがわかってあげられるんだなと思いました。
どんな風に寄り添って欲しかったか、どんな声かけをしてもらえたら嬉しかったのか。
そのあたりを意識して子どもと接していきたいなと思えるきっかけとなった投稿でした。
何度見ても泣ける。笑
自分が小さかった頃に、それだけの想いを抱えていたんだなと今になって思います。
子育てをしていると日々、幼かった日々の自分が蘇ります。
「こんな風に言ってもらいたかった」「こんな風に接してほしかった」そういった想いを抱えながら、小さかった頃の自分を癒すような気持ちで日々子どもと接しているような気がします。