先日、お宮参りと写真撮影に行ってきました。
初めてのイベント。
両家の親も集まるのでドキドキ。
お宮参りは徒歩数分のところで無事に終わりました。
娘は一度も泣くことなく。
ただ、写真撮影は大変なことにw 苦笑
1日で全て終わらすのは体力的に無理だと思ったので、写真撮影は次の日にしたのですが不機嫌マックスな彼女。
なんとか終えられましたが、その日は疲れがハンパなくて、体調ボロボロ。
夕食食べる気力もなく(お腹がすかなかったw)1日が終わりました。
心も疲れすぎたし、何かと刺激が強すぎた。。
旦那さんはそうでもなかったようで、やはり繊細すぎるHSPを実感しました><;
帰ってから何も手につかなくて。。
幸いにも、旦那さんが娘を連れて搾乳もミルクも持参して実家へ行ってくれていたので(ひとりの時間あげるねと前々から言ってくれていたので。)何時間も何時間もボーッとしてました。苦笑
撮影は、娘の機嫌が悪すぎてあと1パータン再撮影になってしまったので、また行ってきます。汗
写真については、お宮参りのものだけじゃなく、ベビーフォトも撮ってもらえて、すんごくオシャレで(そういうところを探したのだけど♡)満足です!
自由な姿
当たり前だけど、赤ちゃんって自由ですね。
不快なことがあれば泣きわめいて、そしたらよしよしって大人がしてくれる。
逆に、泣くことでしか伝えられないから「それちゃうねんー!」っていうストレスもいっぱいだとは思うけれど。
(よく、泣き方で欲求がわかるといいますが、わたしはなんで泣いているのか全くわからないよww)
昔、前彼さんとのお付き合いに違和感を感じ始めてお別れしてっていう時期があって。
ものすごく他人優先で生きてきたけれど、それじゃダメなんだと、自分ファーストじゃなきゃダメなんだと気づき始めたあたり。
何かと人生に絶望していました。
だから、インターネットでいろんな文献を読み漁ったりしていたんですね。
そんな中である方の本を見つけました。
もういろんなことを忘れてしまったのだけど、その本の中にあった『ありのままの姿がいちばん美しい』というもの。
わたしは、かなり強がりで色んなものを被って生きてきました。
本当は弱いのに、それを必死に隠していました。
『強い女』で在りたかったし、『明るい彼女』で在りたかったし。
でも、本来の自分はそんな理想像とはかけ離れていて。
そんな自分を受け入れることができずにいたから、必死に虚勢を張ってた。
ありのままの自分なんて絶対出せなかったんです。
だけど、それがいちばん美しいんだと書いてあるのです。
だって、赤ちゃんはありのままの姿なのにたくさんの人に愛されているじゃないですか、と。
ありのままの姿だから、赤ちゃんは愛されるんですよ、と。
まぁこれはちょっと極端な話なんだけど、なんだかとても印象に残っています。
確かにそうだなぁと。。
そんな折に、友人と旅行へ行く機会があって少しだけ友人の友人夫婦さんとも一緒の時間を過ごしたんです。
その奥さんは同い年だったか1つ下くらいの人だったんだけど、すごく天真爛漫というか、悪く言うとワガママみたいな人でした。
旦那さんに対してだけですけどね。
好きなものは好き、嫌なものは嫌、というのがハッキリしているというか。
奥さんの、旦那さんに対する振る舞いを見ていて「わたしなら絶対そんな態度取らないなぁ」とか「わたしなら絶対そんなワガママ言わないなぁ」なんて思ったんだけど、それを見る旦那さんの視線はとても温かいものだったんです。
「一見こんなにワガママに見える人なのにすごく愛されているのだなぁ」と思った時に、ありのままの姿がいちばん美しいって、例えばこういうことなのかもしれないなと思ったんです。
奥さんについてはワガママとか言ってますが、もちろん普通に礼儀もあるしちゃんとしている人です。
旦那さんに対してそうだというだけで。
またそれも一場面なので、基本は思いやりをもった人なんだと思います。
もう結婚して4年とかだったけれど、とても仲良さそうでした。
その奥さんを見ていて、奥さんよりわたしの方が絶対《いい人》だと思ったんだけれど、こんな《いい人》を演じているだけのわたしだから愛されないのだなぁということに気づいたんです。
後でね。ww
その時は「わたしの方が絶対《いい人》なのに、なんであんなワガママな子が素敵な人と結婚できて幸せに暮らせるんだろうか」なんてひねくれた思いがありました。汗
生まれたばかりの我が子を見て、正直めっちゃ大変だし嫌になることもたくさんだけど、好きで好きでたまらないし、かわいくてかわいくてたまらない。
ありのままの姿がいちばん美しい。
自由に泣きわめく娘を見ていつもその言葉を思い出すのです。
旦那さんに対して、ありのままの姿を見せられているのかというと少し疑問だけれど、限りなくそれに近い。
あれしたいこれしたいが自由に言えるし、何かと心は自由でいられています。
お付き合いしている時に「こんなこと言っても引かれないだろうか」とか色々思っちゃうこともあったけれど、『きゅうちゃんがきゅうちゃんでいてくれたらそれでいい』というようなことを言ってくれて、「ありのままの姿を受け入れてくれる人がいるんだ」と感じたんですね。
一見、ワガママなんじゃないかと思うことでも相手によれば全然そうじゃないし、そんな姿ですら愛おしい、そう感じてくれる人がいるんだなぁと。
それは、今わたしが娘に対して抱いている感情そのものかもしれない。
泣きわめくことがワガママなんかにはもちろん思わないし。
娘がどうであれ、存在そのものが愛おしいのだから。
これは大人も同じなんだろうなと思うのです。
もちろん、ワガママで在れといっているのではないのだけれど、なんとなくその本の中にあった『ありのままの姿がいちばん美しい』という意味がわかったような気がしました。
自分は自分らしく。
生きていたいですね。