☆*写真好きなHSPの日常**♪

HSP(ハイリーセンシティブパーソン)という独特な気質を持って生まれた、写真大好きなOLが綴る日々です♡

カメラがなかったら苦痛でしかなかったんだろうな

f:id:lucky--happy--smile:20171017183523j:plain

 

以前、義理ファミリーと会う頻度が多くてモヤモヤすると書いていたのですが…。

 嫌な人もいないのに、なんでそんな風に思うのか??について考えてみたのです。 

理由がわからない心の中のモヤモヤ。いつも心がざわつく。

なんかね、明確な理由もなくて、だけど、モヤモヤするという感覚。

楽しかったこともたくさんあったのに、なぜかモヤモヤ。。なんなんだこの感情は!!

そう思っていたので自分の思うことを掘り下げてみました。

そしたら見えてきたんです。なんでモヤモヤするのかが。

 

お互いを思い合える仲の良いファミリー 

何度かブログにも書いてきているのですが、旦那さんは男3人きょうだいの末っ子で、非常に仲が良いです。きょうだいとも、親とも。(適度な距離はあるけれど)

お兄さんたちの子どもが全部で4人いて、赤ちゃんの頃からしょっちゅう会っているから、甥っ子姪っ子というのは、旦那さんにとっては我が子のようなものなんですね。

人生で泣いたことは2回くらいしかないという旦那さんが姪っ子ちゃんの結婚式は絶対泣くと思うって言っちゃうくらい溺愛していて、その姿はとても微笑ましいです。

まぁ、それくらいの近い距離感なわけです。

 

お母さんは明るくて優しい人で、息子たちや孫たちが大好きで。

それが生きがいみたいなものですよね。

それを息子たち3人はよくわかっていて息子たちも本当に良い人たちだから、嫁がしんどくならない程度を見計らって母が孫の顔を見れるようにする為に遊びやイベントに声をかけるんです。

お母さんから声がかかることもありますけどね。

 

そんな感じで親が子を、子が親を想っているから、会う機会も多くなる。

子どもたちからしても祖母祖父、叔父叔母は生まれた頃からいる一緒に人たちだから、愛着もあるし懐いてもいるので、叔父さんたち(旦那とか)が一緒にいてくれると嬉しいんですね。

そんなこんなで全員で会う機会というのは必然的に多くなる。

 

わたしは親戚で会う頻度が割と少ない家で育ったので、(決して仲が悪いわけではなく、物理的に距離がありすぎて)小さい頃から、叔父伯母やイトコたちと会う機会というのは年に2回あれば良い方で。

それこそ、お盆とお正月くらい。

年齢が上がるにつれてそれも数年に1回のスパンとなりました。

 

わたしからしてみれば、お盆とお正月に会うような勢揃いな親戚一族と

毎月のように会っているわけです。はじめは本当に面食らいました。

  

そこは、一歩違えば苦痛な場所

夏に、姪っ子ちゃんのサッカーの試合がありましたが、両親が来ているおうちですらあまりいないという状況で、うちは両親はもちろんのこと、じぃじばぁば、おじおば×2、イトコたちという揃い組だったんです。笑 

その時に思ったんです。

「これ、カメラなかったらわたし苦痛でしかない場所やわ。」って。

サッカーに対する興味なんて、4年に1度のワールドカップを見るくらいでルールもオフサイドがかろうじて分かる程度。

なので、見ていてもつまらない(かもしれない)し、暑いし。。

姪っ子ちゃんは本当にかわいいけれど、まだわたしも嫁になって日が浅いので、赤ちゃんの頃から姪っ子ちゃんをかわいがってきた旦那さんとは温度差もある。 

その時に「あーカメラがあって良かった」って思ったんです。

カメラがなければ苦痛でしかないこの場所でも、わたしにはカメラがあるから、「サッカーの試合!?撮る撮るー!撮らせてー!」って思えるし、そもそも子どもや家族写真を撮ることに幸せを感じるので、義理ファミリーといたらそんな機会が頻繁にある。

絶好の被写体がたくさんあるんです。

サッカーの撮影なんて、めちゃめちゃ勉強になるし、旅行だって義理ファミリーと行くなんて本来は苦痛でしかないけれど、写真があるから「みんなの写真いっぱい撮れるー!」って楽しみにも思えるんです。 

写真については、今はもう初心者の域は脱したと思っているし、レタッチもして、毎回子どもたちのお母さんであるお義姉さんたちに渡しています。

すると喜んでもらえる。

「きゅうちゃんが撮ってくれるから、あんまり(自分で)写真撮らんかった」とか言われちゃうし。笑 

カメラがあって良かった。写真が好きで良かったって心から思うのだけど、それって、裏を返すと、カメラがないとわたしの存在価値ってないよね…ってこと。

 

子どもとの接し方がわからない。わたしって必要!?

 わたしたち夫婦以外は皆子どもがいるので、子どもの扱いはわかっているし、旦那さんには子どもはいないわけだけど、赤ちゃんの頃から接しているから、子どもとの接し方はわかっているし、何より旦那きょうだいがめちゃくちゃおもしろいんです。

旦那さんもずっとおもしろいことやってるから、子どもたちも大喜び。

体が大きいから、必然的に多くなる皆の荷物持ちを買って出て余裕でこなすし、皆が疲れている中でも運転をしてくれたりと、存在感がありすぎるんです。

旦那さんに限らず、わたし以外の全員は子育てをしているので、子どもの相手ができるというのは前提としてある。

その一方で、わたしは子どもの接し方なんて驚くほどわからないし、子どもにも人見知りするし、明るくもないのでおもしろいことも言えないし、積極的に関わるのも難しく感じてしまうんです。

「あ、わたしなんかよりばぁばと遊んだ方が楽しいやろうな」って見を引いちゃう場面も多く。

もうね、自分の存在価値がわからなくなるんです。全員でいると。

子どもよりも大人の人数が圧倒的に多いから、手が足りないということにもならないし。 

楽しいと思うことも、楽しみだと思うこともあるのに、行く前も帰ってからもモヤモヤした気持ちになるのは、【存在価値を感じられない場所にずっと身をおくことがツライ】と感じているからだと気付いたんです。

ただ人数が多いからだと思ったのだけど、ちょっと違うみたいです。

もちろん、その要因もあるのだけれど。

 

食事の時間が一番苦痛(苦笑)

仲が良いファミリーなので全員集合でしょっちゅう一緒にゴハンを食べたりします。

すると、食事の準備をしなくちゃいけない。

そうなるともうどうしていいかわからない。

人のおうちなのでどこに何があるかもパッとわからないからお手伝いしようにもしにくい。

わたしは一番年下で且つ新入りの嫁なので「わたしが動かなくては!!」と思いそれが空回る。

そういう風に自分で自分を追い込んでめちゃめちゃプレッシャーを感じてしまいます。

HSPってこういう状況がとても苦手。

 

で、子どもたちからすればおばあちゃんの家なのだけど、都会のおうちなので狭いんですね。笑

我が家のリビングダイニングの方が広いくらい。笑

そうすると不必要に動いていても邪魔で迷惑。

実際に食べる時間になっても、子どもたちが自由人なので一斉にいただきますなんてできない。

だけど、わたしは子どもがいないので、めっちゃ手持無沙汰になっていつでも食べられる状況になったりする。

でも、先に食べるわけにはいかないし、とはいってもこれだけわちゃわちゃしてるのだから、先に食べちゃった方がいいのか?

てか、お義姉さんたちは小さい子どもたちに追われているのに、わたしは先に座っていていいのか?かといってわたしは世話の仕方もわからない。

椅子に座らせる?エプロンつける?子ども用の器どれ?○○ちゃんはこれとか決まってる?フォークで食べるものなの?お箸もう使えるの?何飲めるの?みたいな。

なんやらもうたくさんの葛藤です。

バタバタと忙しくしてるお義姉さんたちにそんなどうでもいいようなこと聞くのも申し訳なく感じるし。

もーわかんないよーーー!!

何も気にせず静かに旦那とふたりでゴハン食べさせてくれーー!!ってなります。笑

 

ツライと思う理由が明確になった 

義理ファミリーと会うと毎回悲しくなる。自分の不甲斐なさに。

明るくいられない、口数少ない、笑顔もぎこちない。

コミュニケーションもうまく取れない。

テキパキと動けない。

なんでわたしはこうなんだろう…ってとても落ち込みます。

自分を否定する言葉しか思い浮かばなくなる。

だから、しんどくなるんだ。その場にいる時も帰ってからも。

 

自分の不甲斐なさとかダメだと思う部分が顕著に露呈するの。そこへ行くたびに。

普段の生活をしていればあまり感じなくて良かった部分を、結婚してからそれなりの頻度で自分のダメさを実感しているわけです。定期的に。

自分にとって受け入れられない部分だからこそ、ツライのだよなぁ。

だから、そういう自分を受け入れられたらまた違ってくるのだろうけれど。

それもなかなか難しいのです。

 

photo by Q in 亀岡コスモス畑(京都)